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どこまでも優しくて素敵な人‪✿ お店の経営が行き詰まっていた頃、突然、来てくださいました。その頃、偶然にも夜中の再放送のドラマを見ていた父が「もしかして、あのお兄ちゃん?」と聞くと、少し照れた表情で『そうです。』とおっしゃり、ビックリした両親に、『僕、全然有名じゃないから。』と謙遜されつつ、とても気さくに、接してくださいました。 その後すぐに同業者の方、関係者の方がご来店くださるようになりました。 インタビューで、大阪の思い出として、当店のメニュー名を挙げてくださいました。 ファンの皆様が、数えきれないほど来てくださるようになりました。 経営が非常に苦しかった状況で、私たちは救われ、今現在も助けていただいています。 いつの間にか、大阪での公演の際は、劇場にお花を贈るようになっていました。 数年後、舞台のお仕事で来阪され、ご来店くださったとき、入店されると『こんばんは!綺麗なお花をいただいてありがとうございます!』と 頭を下げてくださいました。 きっとものすごい数のお花が、届いているはずなのに、 私たちのお花を、認識してくださっていたこと、感激しました。 父と母が、経営がとても苦しかったタイミングで、おかげ様でお客様が一気に増えて、本当に助かったとお礼をお伝えすると、『それは(僕の力じゃなくて) ここがおいしいから!』と、あの満面の笑顔を向けてくださいました。 お帰りの際にくれぐれもお体にお気をつけてと言うと、 一瞬ハッとした表情をされたあと、手で持っていたものを急いで口でくわえて、両手で丁寧な握手をしてくださいました。 パン屋のご年配のご夫婦を「お父さん」「お母さん」と出会ったときから呼び、帰るときには「お父さん、お母さん体に気を付けてね」と三浦さんは毎回声をかけていたという。ご夫婦もまるで自分の息子のように思っていたそうだ。あるとき三浦さんの出演舞台のチケットが取れないことをご夫婦が話すと、三浦さんは「僕が取りますよ」と気さくに応じて楽屋にも誘った。また、パン屋の出入り口に敷いてあるマットがめくれていたときに、他の人は通りがけに足を使ってそれを直したりしていたが、三浦さんだけはそこにかがんで手でマットを直したという。 三浦を度々撮影し、通訳も務めた台湾のカメラマンは「息子を伴って東京の病院で手術をしたとき、わざわざ見舞いに来てくれた」「台湾で地震が発生したとき、LINEで私の家族や知人に被害はないか真っ先に案じてくれた」という 数年前の握手会で手首に傷があったファンに小声で「痛かったね」と包み込んでくれた。 超人気があるにもかかわらず、打ち上げでは一番最初に会場入りしてみんなの食器揃えてた。 『こんな夜更けにバナナかよ』の撮影中に自分は特に痩せなきゃいけない役でもなかったのに、(痩せなければいけない)僕と一緒にずっと走ってくれた。 知れば知るほど好きになるどこまでも優しくて素敵な人。 どんなに遠く離れててももう二度と会うことができなかったとしてもずっとずっと春馬くんが大好きです。